カミュの小話
昨日買った本に、カミュの小話の抜粋が載っていた。

精神病院の浴室で、一人の精神病患者が釣り糸を垂れていました。
通りがかった医者が患者に声をかけます。

「どうです? 釣れますか?」

すると患者は答えました。

「釣れるわけがないじゃないですか。ここは風呂場ですよ。」

この小話の前提にあるのは、精神病患者は全く支離滅裂な考え方をする、という思い込みです。・・・・・・・

筆者は続けます。。

それは違うのです。 精神病患者も子供も、未開社会の住人も、いわゆる健常者やおとな、文明人とは異なった独特の考え方をしますが、価値の上で決して劣った考え方ではありません。


認知症患者にも同じことが言えるのではないだろうか。

私たちもこの医者のように、認知症の人たちを見ていないだろうか?

彼らが世間の常識や他人の目を気にしなくなった分、考え方はよりストレートで、私たちよりも正しいことを言っていることもあるかもしれない。

実際、母を見ててそう思うことが時々ある。



2007/08/25(Sat) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
助かる
他の認知症で要介護4の人たちがどのような暮らしをしているのかはわからないが、私と母はほとんど毎日出かけ、私は全ての自分の用事を母を連れて、することができる。

これはすごく幸せなことだと思う。

今日も電気屋に行って、DVD−RWを物色し、掃除機の説明を販売員さんからじっくり聞いていた。30分は話込んでいた。

その間、母はおとなしく待っていてくれる。

幸か不幸か母は歩行器でその歩行器は椅子代わりになる。

掃除機の説明を聞く時、母に、ちょっとここに腰掛けてね〜。
これ読んでてね〜。 と言って、いつも同じなのだが、音読練習帳の数ページを渡す。

毎日読んでるので、バラバラボロボロになっているし、紐で綴じても、ホッチキスて綴じても、母がまたバラバラにしてしまうので、最近はバラバラの状態で持ち歩いている。

外出時の必需品だ。

最近は暑いので、4時ごろから出かけ、7時ごろ帰ってくる。

それまでは家で、母はまたまた音読や百人一首を読んだり、テレビを見たり。 私はかんちゃんの世話とパソコンと。。

7−8時に帰ってくると、食事は最近9時頃で、またちょっとテレビを見てシャワーをすればもう、寝る時間。

母は11時前頃寝る。

少し風邪気味だった母。

布団に入ったとき、最近はいつも言うように、「ありがとうございます」

今日は、ちょっと元気がなさそうだったが、「ありがとう、加奈子さんがいて助かる」 とはっきり言った。

シャワーをして下着をきるとき、時々言うように、「自分のことは自分でしますから。。」 と言っていたが、母はやっぱり自分がいろいろできなくなってきているのを、自覚して、心細くなって、寝る前にあんなことを言ったのかもしれない。

はっきりと、「加奈子さんがいて助かる」と言われたのは初めてだ。

なんかちょっとグッときてしまった。

2007/08/24(Fri) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
お風呂
1−2ヶ月前からだろうか、母がお風呂(と言っても、うちはシャワーだが)を全く嫌がらなくなった。
去年の終わりごろからか、だんだん抵抗は少なくなってはきたが、全く抵抗がない、というのはほとんどなかった。

それが、最近、ここ1ヶ月以上、全く抵抗がないのだ。

これまでは、最後の一枚を脱がすのにかなり苦労していたが、服も下着も進んで脱いでくれる。

そして、今までは、私が全部洗っていた。母は縮こまって、ただ耐えているようだった。 

ところが、最近は自分で全部ごしごしと洗ってくれる。
私は髪の毛と背中と、骨折のため母が届かない足先を手伝うぐらいだ。

ここ2−3年、母の入浴拒否で大変だったが、母も大変だったのかもしれない。

そして、理由ははっきりとはわからないが、母の中の嫌な記憶が風化したのか、全く抵抗がなくなった。

しかし、今は夏で暑いので、汗もびっしょりかいて、母も気持ちが悪いのだろう。 ほぼ、毎日、シャワーできている。

寒くなってきたときが問題だ。
こんなにうまくいくかどうか。

それにしても、母が毎日抵抗なくシャワーできるようになってよかった。この暑い夏に週2回なんて考えられない。

でも、去年まではそうだったのだ。
母も気持ち悪くて、余計に機嫌が悪かったのかもしれない。

母の身体にはダニに食われた後が、いっぱいあったしな〜。
かわいそうだったな〜。

それにしても、母は最近首の周りに結構、べたついた汗をかいているようだ。 それに、身体にも赤くなっているところや、引っかき傷のようなものもあるし、ダニがまだいるのかもしれない。

ダニアースは買いかけたけど、結局身体に悪いと思って、してないし。
なんかダニに悩まされるのって、かんちゃんが来てからだ。
細かいフケも結構飛び散るし、本当はもっとこまめに掃除すべきなんだけどな〜。 

母も一度皮膚科に連れて行こうと思って、全然行っていない。

やっぱり、ぐうたら介護になっている。

しかし、元々問題行動がほとんどない母の、最大の問題がこのお風呂問題だったわけで、これか解消された今、私は本当に介護をしてるのだろうか? と思うぐらい、母にはほとんど問題がない。

最近は、本当ににこやかで、穏やかで、昔からの母なのである。

要介護4でこれだけ頑張ってる母は偉いと思う。
母は昔から頑張り屋だったけど、やっぱり今も頑張ってるんだと思う。

やっぱりこの家で一番手がかかるのは九官鳥のかんちゃんだ。
今日も朝から出してあげてたのに、かごに入れたとたん、「もういやよ〜」と立て続けに4回も言ってた。

こっちの方が「もういや〜」なんだから。。


2007/08/23(Thu) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ねこの声
九官鳥のかんちゃんが最近、「ニャオー」と結構でかい声で言い出した。もしかして、ネコの声? うちはネコ飼ってないし、少なくと向こう5軒ぐらいもネコを飼っていない。どこで覚えたんだろう? とちょっと不思議に思っていたが、その理由がわかった。

2日前、朝5時ごろ目が覚めた私は、リビングの窓を開けた。
ネコがものすごい声で喧嘩しているのが下から聞こえてくる。

家は結構高いところに立っている。ちょっとした山の上とでもいう感じだ。 そうだこのあたりには野良猫も時々見かけるから、野良猫同士のなわばり争い闘争のようだ。
山口組対一和会とでもいったところか。

ネコの声はすぐ近くで聞こえるのに、肝心のネコは全然視野に入ってこない。 つまりどこにもいないのだ。 でも、声はすぐ真下から上がってくる。

すぐ真下にあるのは。。。。 プレハブ小屋のようなうちの倉庫である。8帖ぐらいはあるだろうか。

もしかして。。。倉庫の中で喧嘩? 倉庫の中に野良猫が住み着いている?

すご〜く嫌な予感。
確かめるために、私は小物をベランダから下に落としてみた。
倉庫の屋根に当たった瞬間、ネコの鳴き声が止まった。

決定的だ!


倉庫はもう3年ぐらい開けてない。 この間、車のジャッキが倉庫に。。 と思ったが、倉庫の鍵が見つからなかった。
なくしたようだ。

6月に近所の草抜きがあって、倉庫の周りに覆い茂っていたススキをきってしまった。

実はプレパブ仕立てなので、地面とプレハブの壁面に少し隙間があるのだ。

きっとネコはその隙間から中に入り、いついているのだと思う。

あ〜どうしよう。。

とりあえず、鍵屋に電話して、倉庫を開けなければ。
そしてネコ退治か〜。 どうやって?
ネコがいないときに、プレハブと地面の隙間を埋めるしかない。

暑いせいかいまいちやる気が出ない。

かんちゃんは今日も朝から、色々しゃべっている。
最近はいつも朝一番で1-2時間出せば、あとは満足なのか、カゴでおとなしくしているが、今日は私が起きるのが遅く、出す時間も遅く、お腹が空いたみたいで、不本意ながら結構短時間でまたカゴに入っていった。だから、かんちゃんは不満げにまだ、「出せ出せ」とカゴから色々言ってくる。

「ニャオー!」 「もぅいやよ〜」

全く癒されないペットである。

2007/08/21(Tue) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
ラテンと花火
昨日はいつもいくショッピングセンターと違う、ちょっと遠くにあるショッピングセンターに母と繰り出した。
母は人が多く、いつもうるさいショッピングセンターはあまり好きではないのだが、こう暑くては、戸外はきつい。 クーラーの効いたところでないと。。 そして仕方なく、またショッピングセンターへ。

そこでイベントをやっていた。 エクアドルの原住民のバンド。 ボーカルの人が超かっこいい。 私好みの顔である。 私は男の人のエクボには弱い。 小学校6年のときに好きだった男の子にもエクボがあった。あれからエクボのある男性はそんなに見かけたことはないのでどれだけエクボに弱いか忘れかけていた。

と、どうでもいい話は別として、コンサートは透明感のある音色でとても良かった。 母はまた気に入ったらいつもするように、両手をバンバンと大きな音を出しながら叩いていた。 まあしかしながら、音楽のボリュームも大きく、また私たちがスピーカーの前に座っていたからか、幸いなことに母の手拍子はそれほど目立たなかった。

それに一応リズムも合っているし、1曲終わると、手拍子をちゃんと止めていたので、私はホッとした。それでも数人は母が普通ではないことに気づいて、こちらの方を見ていたが、そんなことを気にする私でもない。

演奏は40分ぐらいあったが、ラテンのリズムで迫力満点でとても良かったし、母もとても楽しんだようだった。私はきっとブラジルにでも行けば、母のバンバンという手拍子も、全く浮き上がらず、明るい国民性が母に合って、認知症ということさえ忘れて楽しく暮らせるのではないか、などと、漠然と考えながら聞いていた。

結局、その日はショッピングセンターに5時間も滞在し、母はずっと機嫌がよく、2時間ぐらい歩いた。本当に私よりもさっさと歩いた。すごい脚力である。私もショッピングもして、二人とも満足な一日だった。

そして昨日18日(土)は、夜、妹も参加して近くの花火を見に行った。
去年、母は花火をとても怖がっていたので、今年はパスしようかとも思っていたが、一日中家でテレビを見ていてもつまらないし、母も外出したそうだったので、結局、出かけた。

そんなに気合も入れず、ちょっと遠くからでも見れたらいいやん、ぐらいの気持ちで、時間もぎりぎりで出かけた。

いつも見る場所に着くと、到着したときはそれほど混雑していなかった。 あと10分ほどで始まるようだった。 案の定、母は次第に、落ち着きがなくなってきた。人ごみが嫌いなのだ。こんなときは母の大好物のおまんじゅうでももって来るべきだったが、忘れた。

最初に市長の挨拶などが10分ほどあり、予期していたように母は「帰ろう!」と言って何度も立ち上がろうとした。

そうこするうちに花火が始まったが、本当に真正面で近くであげているので、音が大きい。 心臓に悪い。 母はやはり音と光におびえ、怖がっていた。

「帰る」要求が強くなってきたので、ちょっと動くことにする。 手押し車でちょっと歩くが、やはり帰る方向は人で埋まっていて、先には進めず、反対方向へ行くと行き止まりになっているが、そこでまた座って見ていた。 それからまた2−3回動き、母は不本意ながら座って、怖い顔をして耐えていたが、最後の3分の1ぐらいは、元の席に戻り、表情も柔らかくなり、やっと余裕も出できたようで、落ち着いてみることができた。

それにしても長い。1時間はみっちりあった。

結構、きれいだった。
花火ってやっぱり家族や恋人と見るもんだよな〜。
わあー、とか、あーとか、この瞬間の花火のある時間を共有することが楽しいのであり、思い出になる。
花火はやっぱり、一人では見れないな〜。

パッと出て、パっと消える。
人の人生もマクロで見ると花火のようにはかないのかもしれない。

母には悪いことをした。
怖がってる母を無理やり引き止めて。

でも、帰りには機嫌も良くなっていたし。。
音と光の大きさにビクビクしていた母だが、寿命が縮まなかったことを祈る。

 



2007/08/19(Sun) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
あの人は。。
昨日の母の誕生日は、妹と3人で梅田でうなぎでも食べるつもりだったが、妹に急用ができ、あまりにも暑かったので、家でクーラーをかけてじっとしていて、結局、母の誕生日には何もできなかった。

母が文句を言わないので、結局いつもこんな感じになってしまうのだ。
ケーキぐらい買いにいけばよかったが、前の日の買ったおはぎですましてしまった。

今日、母には杏仁豆腐にフルーツがいっぱい乗ったケーキを買ってあげた。私のパフェも半分あげた。 本当に母は甘党である。

今日、等身大のケンタッキーのおじさんの前を通ったとき言った母の一言におもわず笑ってしまった。

母はいつものように、ケンタッキーのおじさんにお辞儀をして、挨拶をして通り過ぎる。 その直後、「ちょっと待って。。。あの人は生きてるのか死んでるのか。。 どっちなの? 」 「それが問題やね〜」

私:「ハハハ、死んでるよ」

それに対する返事は特になかったが、母はポスターによく挨拶したり、手を振ったり、「ちょっと見てみて、あの人、笑いかけてるよ」と言う。  

化粧品売り場ではきれいな女の人のポスターがいっぱいなので、「きれいな人やね〜」 とニコニコしている。外国系の化粧品のポスターのモデルは結構、きついアイメイクをしているので、「見た見た?加奈子さん、きつい目、こわーい」とちょっとおびえている。

母は昔から面食いなので、かっこいい人のポスターにも反応する。
写真屋の前では長瀬君のポスターに見とれ、スーパーでもヨン様のポスターに見とれている。

家ではニュースキャスターに挨拶し、バラエティの出演者には、「あの人だれなの?」と聞いてくる。家に来てると思っているようだ。

前は、「こんなにたくさん人が来て」と、よくテレビに向かって怒っていたが、最近は落ち着いてテレビを一生懸命見ている。

こうやって書いてみると、母、やはりかなりおかしい。

でも、私が気にしなければ、それで別に日常生活に困ることもない。

部屋にヨン様のポスターでも貼れば母は喜ぶかもしれない。

それにしても、今日初めて、「ちょっと待って、あの人は生きてるの?死んでるの?」って聞いてきたということは、母はちょっと正気に返ったのだろうか? 今までは明らかに生きてると思って接してしたのだから。
2007/08/16(Thu) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
お盆
12日の夜、ちょうど母の実家の従姉妹から電話があった。

「おばさんどうしてるかな〜」と思って。。 と、従姉妹。

考えてみれば、もう5年以上会っていない。

「トイレもなんとか自分で行けるし、ほぼ毎日出かけてるし、元気だよ」 と言った。

話してみると、その従姉妹のお姉さんは、丁度4年前のお盆から、悪性腫瘍の治療のために4ヶ月入院していたらしい。 そして腫瘍はなくなったが、治療の後遺症で声が出にくくなったのと、筋肉が硬くなって、ゆっくりしか歩けないらしい。

それにしても、しばらく会わないうちにそんなことになってるなんて、人間とはわからないものである。 まだ50代前半なのに。。

従姉妹は仕事も4年前から辞めてるらしいので、お盆の混んだときに来なくても、今度ゆっくり妹も一緒に泊まりできたら、 ということになった。

たぶん母はもう従姉妹のことも覚えてないと思うが、実家は思い出すのだろうか? 

今日はお盆だったので母にお経を読んでももらった。

実は昨日トライした時には、あまりうまくいかなかった。

去年まではちゃんとできたのに〜、と私は少々がっかりした。

しかし考えてみたら、うちの仏壇はほとんど開けていない。
去年のお彼岸から一度も開けてない。

いつも母と「ほっとけさんやね〜」と言って笑ってるが、ご先祖様もさぞかしお怒りだと思う。 

母は、「大丈夫。怒ってはれへんよ。」と言うが。。

だから、母が前にお経を読んでから、1年近く経っているわけで、忘れてもおかしくはない。

しかし、今日は本を見ながら、最後までスラスラと、ほとんど暗記しているようにうまく読むことをができた。

認知症の状態にはムラがあるっていうが、今日はお盆パワーご先祖さまが、母に力を与えてくれてできたんだろうか?

これからは仏壇ももっとケアしてあげないと。。

ずっと埃かぶったままだったし。。

明日は母の誕生日。

母の好きなうなぎでも食べに行こうか?





2007/08/15(Wed) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
お盆か〜
周りは帰省ラッシュで大変らしい。

そう言えば、長い間愛知県の母の実家に行っていない。

3年前に2回目の骨折をして今、歩行器であるいているので、色々制約もできた。
そう、ふとんには寝れないと思う。

母、自分の家や育った町を覚えているかな〜。

かなり怪しい。

でも、この先もう後何年生きられるかと思うと、実家ぐらい、たまには連れて行ってあげたいし。 やっぱりお盆がいいのかな〜。 長い間お墓参りもしてないし。。

愛知県ぐらいだったら日帰りで行けないこともないし、14日ぐらいだったら、高速も比較的空いてるかも。  

どうしようかな〜。

それともお盆をはずして行くか?

実家を次いだ従姉妹に電話せなあかんし。。

う〜ん、めんどくさい。  全ては私のやる気次第か。。
2007/08/12(Sun) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
あと一週間で
7月の21日にコメントくれた人ありがとう。
気が付いてなくて、今見ました。
なんか書いてるときは、宙に向かってやってるようであまり、実感がないんだけど、見てくれている人がいるんだなって、私ももうちょっと更新がんばらなきゃいけないな、と思いました。 

暑いな〜。
もう8月です。 今年も半分以上過ぎました。 早いな〜。 早すぎるよ〜。 

去年と違い、今年は色々と、物事はうまく行っているように思われます。 妹がかなり母のめんどうをみてくれるようになったのと、母の気分が落ち着いていて、一人で部屋で自分なりのお仕事をしているので、私も自由時間が結構できるようになりました。

急に機嫌が悪くなったり、食事や飲み物を拒否することがほとんどなくなりました。 その反面、言っていることが、意味不明のことも増えてきました。 まあ、ゆっくりと進行しているのかもしれません。

「トイレ行っとこか?」 と言うと、「そうそう、トイレここにあったよ」 というような感じです。 

しかし、とても穏やかに過ごしています。

あと一週間で母の誕生日です。 8月15日。 終戦記念日。 お盆。 大正12年生まれの母は、84歳になります。

考えたら、母が20代前半の頃、太平洋戦争だったのです。
母の兄は戦争に行ってたし。 お父さんは軍人で落馬して、病気になり、36歳の若さで亡くなったようです。

母はやはり昔の歌は良く覚えているようで、この間軍歌のCDを借りてきたら、歌詞もバッチリ覚えてて、懐かしそうに歌ってました。

母の青春時代ってどんなんだったんだろう。
家では男の人と映画に行くことや、歌を唄うことも禁止されてたって、昔聞いたことがあるけど、青春時代が戦争って嫌だろうな。
教育も戦前の教育を受けてるわけで、現代みたいな自由はなかったんだろうな。




2007/08/09(Thu) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
 ホームに戻る