ウイルス性胃腸炎
昨日は朝から母はとてもしんどそうだった。最初、朝は機嫌が悪いことも多いので、単にうつっぽく、気分が悪いだけかと思っていた。

なんか椅子でぐったりして動かない母。

そしていきなり、嗚咽。

今朝はまだ何も食べていないのに、吐いてしまった。

これはいけない、と思い、もう一度ベッドで寝かせる。

しばらく経って、お茶と朝食少しを口にしたが、5分も経たないうちにまた、全部吐いてしまった。

昨日の夜に食べたものが悪かったのか? それとも、インフルエンザか?

私が大丈夫なところをみると、インフルエンザかもしれない。

12月の10日ごろ予防接種を受けたのに、それが効力を発揮する前にかかってしまったのか!

おでこに手を当てたが、熱があるかどうかはわからない。

とりあえず、母をベッドに寝かせて、様子をみることにした。

私は年賀状やその他諸々、年末のことで頭がいっぱいで、母が寝ているのをいいことに、自分の用事を片付けようとしていた。

考えたら、母は朝、あれから何も食べてないし、飲んでないし、トイレにも行ってない。

夕方、母は次第にぐったりして、とてもしんどうそうだったので、口に入れる体温計で熱を計ることにした。 5分入れてなきゃいけないのに、母出そうとするのを手で押さえていると、数字がどんどん上がっていく。まだ3分も経ってないのに、38度7分。  母、舌で押して体温計を出してしまったので、そこでストップしたが、これは39度以上、あるのではなかろうか?

医者に連れて行くべきなんだろうか?

とりあえず、家族の会の懇意にしているおじさんに電話してみた。
それは、すぐに病院へ連れて行くべき、と言われ、私も決心がついた。

金曜の夕方だったので、総合病院の救急へなんとか連れて行った。

外で待つように言われ、大丈夫だろうか? と不安に思いながら待っていると、母の悲鳴が2回ほど聞こえてきた。

しばらくすると、ドアが開いて、採血するために腕をつかんでいてほしい、とのこと。

どうも初め、インフルエンザの検査で鼻に棒か何かを入れられてから、すっかりへそを曲げてしまったようで、採血も抵抗が強く、母の腕には失敗の血のあとが。。。

私が来たことでちょっと落ち着いたのか、腕を押さえて、採血も一応できた。

点滴は無理だろう、とのことになり、この状態では入院もしても意味がない、ということになった。

結局、インフルエンザ反応は出ず、ウイルス性胃腸炎と診断された。

私が救急の診察室に居ると、救急車からの電話が入り、どうも90歳の認知症のおばあちゃんが、胸痛を訴えているらしく、救急車でのバイタルチェックを嫌がってさせてくれない、とか看護婦さんが電話で話していた。 母より6歳も上だ。 嫌がって検査させないところもそっくりだ。 うちだけじゃないんだ。 と思った。

結局、検査結果が出るまで、結構待ち時間があり、母の機嫌も少しましになったので、点滴もなんとかすることができ、母は少し楽になったようだった。

母よりずっと後に運び込まれてきたそのおばあちゃんは、ふと見るとロビーで車椅子で元気そうにしており、母よりずっと先に帰っていった。

妹に迎えに来てもらい、家に帰り、少し食事もし、薬も飲んた母だが、やはり、3時間後ぐらいに全部吐き出してしまった。

昨日の晩から一日経ち、今日も母は一日中寝ていたが、吐き気は少し治まったようで、お茶も飲めるようになったし、おかゆも少し食べれたので、着実に回復しているようだ。

よかった、重病じゃなくて。

夜には少し元気になってテレビを見ていた母に、「昨日は大変だったね。おかあさん、 死にかけてたもんね」 というと、誰が? というような顔。 全く、覚えていないようだった。

病院で痛い目にあったのもすっかり忘れているようだし。

ある意味、うらやましい。

私も忘れたいこと いっぱいあるんだけどな〜。

妹との喧嘩で言われたこととか。。

すんなり忘れられたら、幸せだろうな〜。
2007/12/29(Sat) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
クリスマス・イブ
ここ2年ほど、クリスマスをまともにやっていない。
以前は、丸ごとチキンに中に野菜や果物を詰めて、丸焼きにしたり、オードルにケーキに、ワインにと結構真面目にやっていた。

しかし、去年のクリスマスに外出することになっていた朝、ささいなことから妹と喧嘩になり、それが正月までひきづった。

今年は大丈夫かな、と思っていると、昨日、妹が体調が悪くなり、そしてまたささいな事で喧嘩になり、今日は私と母は知り合いのクリスマスコンサートに行った帰りに、ファミレスで食事+ケーキで済ましてしまった。

その後、万博記念公園の夜のライトアップとコンサートに向かって車を走らせたが、寒いし、なんとなく母がひどく寒がるんじゃないかと思い、急にやる気がなくなり、途中から引き返して家に帰った。

帰りにワイン、焼酎、プリングルスなどを買う。
この間、プリングルスのチーズ味、新作なのかな? をジャスコで買ったらすごくおいしくて、一気に食べてしまった。 あれから同じものを探すも、イズミヤにはないし、帰りに寄ったJAPANにもない。 あれは幻だったのか?

家に帰って、すごく久しぶり、きっとほぼ一年ぶりぐらいに母とオセロをやった。
母はかろうじて覚えていたが、終わった後、駒を箱に戻すのができなかった。
久しぶりだな〜。 

その後、TVなどを見てしまい、母、結局、12時まで起きていた。

4チャンネルで生活破壊?だったかな、ワーキングプアや生活保護の問題の特集をやっていて見入ってしまった。 

この間から、NHKでもワーキングプアの問題が取り上げられていて、最近よくメディアに登場する議題だ。

確かにパートとかの給料は安い。
うつ病で働けない人も増えている。

しかし、30代母親のうつ病で働けなくて、生活保護をもらっている人のマンション内が写っていたが、結構、いい家具に液晶TVなどが揃っていた。 うちには液晶テレビないのに。。。

多くのケースは同情するし、なんとかならないものか、と思ってしまう。
特に以前NHKでやってた、年金のない80代夫婦が缶を集めて生活している姿を見ると、本当に切なくなって、国がもっとなんとかするべきだと思ってしまう。

戦後、みんなが貧しかったときは、みんな貧しくても頑張れたんだろう。
でも今、富は街中に溢れ、その中での貧困は、”やる気”をなくさせるのかもしれない。

しかし、考えたら、母はパートで私たちを育ててくれた。
父からもらっていた、多いとは言えない12万円程度は全て貯金していた。

そして、ちりも積もれば山、でその貯金はかなりの金額だった。

生活保護も、母子手当ても、国からのお金は一切もらったことがない。

私たちの生活は裕福ではなかったけど、決して貧乏と感じるものではなかった。
欲しいものは買ってもらったし、食事もきちんとしていた。

もしかしたら、社会全体が少し贅沢になりすぎているのかもしれない、とも思う。

私だって、多少うつっぽい気分になるときはあるが、私は絶対にうつ病にはならない。
それは医者が嫌いだから。
特に精神科の医者になんかかかりたくない。

この間、家族の会の会合に精神科の医者が途中から参加した。

出席者の70代の夫人が、「私最近、なんか物忘れもひどく、ちょっと自分でもわけのわからないことして、おかしい、と思うんですが、加齢による普通の物忘れと、認知症の物忘れと、どう違うんですか?」 と、質問した。

よく認知症関係のホームページなんかでもその手の質問の答えがのっている。
典型的な質問だ。

その質問に医者は、「65歳までに発病したら病気ですけど、それ以降の物忘れは、みんな同じです」と言った時、私は信じられなかった。

その医者は結構、近所で、妹が最初、要介護1の母を連れて行ったとき、なんのアドバイスももらえず、妹が、その当時、認可されたところだったアリセプトについて聞いたところ、中期だったら効き目はないと、言われたらしい。結局、しぶしぶ出してもらったが、母親も胃に刺激があったみたいで、すぐに飲まなくなってしまったが。。

医者も薬も信用していない私はうつ病になんかなれない。
こんなこと書いたら、怒る人もいるだろうし、勿論、全ての医者が信用できないわけでもないが、まあ、私の日記だし、好きなように書こうと思う。

クリスマス・イブがすっかり脱線してしまった。

できたら、クリスマスには教会かなんか行って、厳かに賛美歌とか聞きたかったな〜。
アメリカではそれがクリスマスの行事だった。

でも、キリスト教でもなく、普段教会に行ってない私が突然、ふらっといくわけにもいかないしな〜。それに日本の教会はクリスマスに賛美歌とかやってるんだろうか。

クリスマスが終わればもう正月。 大掃除もしてないし、こんなんで正月来るんだろうか?



2007/12/25(Tue) | 日記 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
家族の会
今日は家族の会の集まりがあった。
母を連れて行ってもいい日なので、母を連れて行くつもりだったのだが、母は行けなかった。

理由は、便秘。 水曜日の夜ぐらいからトイレに行ってもなかなか出ず、痛がっていた。

私はいつもは母と同じ部屋で寝るのだが昨日の夜、なんとなく、リビングのコタツに入って寝てしまい、夜中の3時ごろ一度トイレに起きたのだが、その時は母の部屋に異変はなかった。

普段なら、その時点で、母の部屋に敷いていた自分の布団に移動して寝るのだが、なんとなくコタツで寝たかった私はまたリビングのコタツにもぐりこみそのまま朝まで。。

7時ごろ妹がリビングに降りてきた。
もう7時か。。。  昨晩、夕食は9時すぎと遅く、母は夕食後すぐに寝た。
いつもなら、明け方に一度トイレに連れて行っているので、やばいな〜、と思っていた。
母をトイレに連れて行かねば。。。

しかし、最近、朝が異様にしんどい。
起きるのが気分的に辛いのだ。
もしかしたら、軽度のうつ病かもしれない。

妹は昨日、当番で色々母の面倒をみてもらったから、妹にはなんとなく頼めない。
それに妹は朝のバイトに行く準備で忙しい。

私は怠けて寝ているようなものだ。

やっとの思いで起き上がり、まず、自分のトイレに行った。

みると便器に大が。。   母のだ。

母、自分で夜中にトイレにいったんだ。

とちょっとほっとした。 

母の掛け布団がずれて、ベッドから落ちそうだったので、掛けなおしに母の部屋に入ってビックり。  畳が濡れている。

どうやらトイレの場所もわかっていない母はそそうをしてしまったようだ。

大の方はなんとかトイレでしてあったが。。

本来なら、そこで掃除もし、きっとパンツもはいていないであろう母に新しい下着をつけさせるのが、介護者の役目なのだが、 今朝は気分が重く、やる気がでない。

どうちらかというと逃避したい。

そして私、そのとおりにする。

妹に、畳が濡れている旨を伝え、私はコタツに戻り、またもぐりこんだ。

妹は、「えっ、じゃあ母、下着濡れてるんちゃうん」 って言ったが、私、「でも、しんどいから。。」と、言ってコタツに入ってしまった。

直後、妹はバイトに出かけていった。

結局、私はそれから2時間寝て、いつも起きる9時頃、目が覚めた。

今度は気分はだいぶんましだ。

「そうだ! 母は下着をとってしまってうるだろうから、この機会にシャワーをさせよう!」
と思いついた。

火傷もあって、もう10日ぐらいシャワーもしていない。

この間、傷口に貼る防水シートも買った。

母を起こしにいくと、結構機嫌よく、「お世話かけてすみません」と言いながらおきてくる。

ガスファンヒーターで暖めておいた脱衣所へ誘導。

抵抗もなく、シャツを脱いでくれた。 下はやっぱり履いてなかった。

シャワー中は嫌がらなかったのだが、やはり朝一のシャワーは少し寒かったのか、普段はお風呂から上がると上機嫌になるのに、今日は反対で、下着を着ているとだんだん機嫌が悪くなり、うつ病の様にふさぎ込んでしまった。

10時からの家族の会に、いつも10時半ごろから参加してるので、時間が気になったが、母の機嫌は治らないようで、その頃には妹も帰ってきたので、結局、 私だけ行くことにした。

40分ほど遅れて行ったが、新しい方が2−3人来ていた。

その中でも大変だと思ったのは、旦那さんを介護している70代の婦人。

見るからに「危なそう」だったので、最初その人が認知症かと思ったが、その方は自律神経失調症を抱えていて、旦那さんがピック病とのこと。 

自分からは話されなかったが、役員が聞き出し、少し説明してくれた。

家から出ず、閉じこもりがちなのでもっと外出したい、とのことだったので、私が、よく母と来るまで出かけるので、また一緒にでどうですか? と聞くと、「また、誘って下さい」 とのことだった。 

車だったので家まで送ってあげると、とても嬉しそうだった。

それにしても介護ってただでもしんどいことなのに、子供は遠くに住んでいて頼れない、自分ひとりでやらなければならないし、旦那はデイサービスなどにも行きたがらないし、自分は精神的な病を抱えているし。。  だったら本当に大変だと思う。

最近、朝がしんどい私には、よくわかる。 精神的にしんどいと、介護なんかできない。

言葉だけじゃなく、本当に今度お誘いしようと思う。

それにしても、少しでも人の役に立つことは、私の気分も明るくさせてくれるような気がする。
彼女を送って行った時、なんとなくそう感じた。

他の人に比べたら、私なんか本当に甘えてると思う。

妹も看てくれるし。。 母の状態もそんなにひどくないし。。

多分、ちょっとうつ病にでもなって、現実逃避したい、っていう甘えかな、これは、と思う。

でもやっぱり今日は何もやる気がしなかったので、いつもは嫌いなテレビを一日中見ていた。

まあ、それでもいいかな。 って思ってる。
2007/12/22(Sat) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
誰が病気と闘うのか?
認知症・アルツハイマーという病気が他の病気と決定的に違う点は、「誰がこの病気と闘うのか?」 という質問で明らかになる。


癌や糖尿病や他のどんな病気も病気になった本人が病気と闘うしかない。

しかしアルツハイマー病の場合、本人が闘ってないとは言わないが、病気と面と向かって闘わねばならないのは、介護をしている人たちであると思う。

この1年で母の病状は少し進んだようだ。

食べ物とそうでないものの区別がつきにくくなってきた。

変なものを食べたりはしないのだが、目を離していると、テーブルの上のペンがコップにささり、はさみがお皿の上にのっている。  犯人は母だ。

こまごまとしたものを片付けようとしているのか、はさみには特に興味があるようで、布巾で巻いたりもしている。

今日は食べたみかんの皮を、飲んでね、と置いておいたお茶の入ったコップの中に押し込んだ。

こういうとき、介護者は冷静を保つべきだと思う。

みかんの皮がお茶に浸かってるからと言って、たいした問題ではない。
捨てればいいだけの話である。

しかし、私のリアクションは、「ダメやん、みかんの皮お茶の中入れたら!」 「汚いでしょ!」・・・   などの理想とは程遠い、リアクションをしてしまった。

母は小さな声で、「だって知らかったもん・・・」 と言って、しばらくして、自分の部屋に行って、布団にもぐりこんでしまった。

今までそれほど奇妙な行動をとらなかった母だが、みかんの件しかり、最近はアルツハイマー病らしい症状も徐々に現れてきた。

みかんの皮をお茶の中に入れたのは母が悪いのではない。
母の病気が母をそのようにさせたのだ。

そしてその病気と闘わねばならないのは介護者なのだ。

お茶に浸かったみかんの皮に動じない心を育てて、病気と闘わねばならない。

安易に、怒ってしまうことは、病気を勝たせることになる。

これからは、このぐらいのことで母を叱らないようにしよう。

だって、言って、治ることはないから。

余計に母の気分が落ち込んで、病気が進行するだけだから。。
2007/12/18(Tue) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
カイロで火傷
土曜日大失敗をしました。

妹が神戸のルミナリエを見たそうだったので、いつも土日は妹が母をみてくれる日なのですが、「私が母をみてるから、神戸一日行って来たら?」と提案しました。「私は日曜日、梅田に出るから、その時みてくれたらいいからと。。」

しかし、最近の妹は自分もちゃんと母をみなければならないととても気にしているようで、「3人で車で行けばいいやん」ということになりました。

私は「え〜! 車? 絶対渋滞にはまるし、母はルミナリエに興味ないと思うし、私も毎年みてて、特に今年そんなに見たくないし〜」と思ったのですが、家にいても寒いし、母は車に乗っているのが好きなので、結局2時ごろから3人で出かけました。

寒いからと思い、母にはこの間買っておいた、使い捨ての貼るカイロを下着の上に貼り付けて。。

注意書きに火傷に十分注意するように書いてあったので、最初母が下着の上に着ているカットソーの上から貼ったのですが、母に聞くと「全然、暖かくない」とのこと。

私も下着の上に貼ってみると、熱すぎるほどではないし、母の下着のほうが分厚いので、大丈夫だと思って、下着の上に貼りました。

神戸は思ったほど道も混んでいなくて、モザイクのびっくりドンキーでご飯とデザートを食べました。ここは海沿いで、席もゆったりしていて、景色がとてもよく、コーヒーやケーキーも本当にビックリするほど安いのでお勧めです。
対岸には豪華客船のASKAII号が泊っていました。

その後、ルミナリエ見学。最後の広場の所だけ見学。

なんか、去年よりだいぶしょぼいよーなー。

人も思ったほど多くない。  最後の週末だから動けないほど混んでると思ってたのに。

母も一応、「きれいね〜」と言っている。

そして早めに帰路に。。。

車も混んでないし、1時間ちょっとで帰れちゃった。

と、So far, so good.

家について、母をトイレに連れて行く。

母、突然、背中が痛い! と叫びだす。

見ると、カイを貼っていたところが赤くなって、皮がめくれて、火傷だ。

Oh my God!

きっと、車にずっと乗っていたので、背もたれで押されて火傷しちゃったんだ!

それが、9時10分前。

近くにダイエーとイズミヤがある。 その中に薬局があった。
ダイエーは10時まで、イズミヤは9時まで営業しているが、薬局は何時までだったか??

母は下着が擦れると特に痛いようなので、妹が下着を持ち上げている。

私は大至急、塗り薬を求めて、ダイエーとイズミヤへ車を飛ばす。

9時前だが、ダイエーもイズミヤも薬局は閉まっていた。 7時までだそうだ。

かくなるうえは病院だ。

でもどこに行けばいいのか。

家に帰る途中、「家族の会」でお世話になっている会長さんの家に立ち寄って相談。

あわよくば火傷の薬があるかな? と思ったが、家を修理中でどこになにがあるかわからない状態。  結局、市民病院に電話をしてもらたら、整形外科医が当直で、応急処置ならしてくれるとのこと。

家に帰り、母と妹を乗せて、市民病院へ。

母は以前骨折したとき、隣の市の市民病院に入院していたのだが、自分の市の市民病院に行くのは私たちも初めてだ。

受付でかなり待たされた。 どうも、事務処理に時間がかってるみたいで、だいぶ経ってから、先生に、連絡を入れている。 私たちが到着したときにいた2人は、「遅いから」と言って、帰って行った。 帰り際に他の救急病院の電話番号を聞いていた。

他に患者もおらず、先生も暇そうなのに、のんびりした病院だ。

母の火傷はたいしたことはなかった。

消毒が重要との事で、医者が消毒液を付けると、母は「痛い!!何すんの!!」と言って、立ち上がり、また抵抗。
私が母を羽交い絞めにして、看護婦さんも母を抑える。 母、後方の医者の手首をしっかり押さえ込んでいる。 医者が、痛いので母の手をはずすように言って、私も妹も母が医者の手をわしづかみにしているのに初めて気が付く。

妹が母の手を医者から離す。

なんとか消毒してガーゼを当てることができた。

私たちはてっきり、消毒液とかガーゼとか塗り薬とかを病院でもらえるものと思っていたのに、医者曰く、マキロンと、滅菌ガーゼを薬局で買って、毎日消毒すればいいとのこと。
ひどくないので塗り薬もいらないらしい。

ということで、病院では何ももらえず、帰路についた。

病院を出る前に、受付に救急車から電話が入っていたようだ。 どうやらアル中の人を受け入れてくれるか聞かれていたようだが、受付は断っていた。

妹も私も、暇そうなのに、受け入れてあげればいいのに、病院もね〜、と車の中で話をした。

この間、TVで受け入れ先が見つからず、救急車の中で亡くなった人をニュースで取り上げていたが、市民病院なんだし、それぐらい受け入れろよ! と思ってしまう。


母の方は薬も何も貰えなかったが、一応医者にみてもらったし、消毒+ガーゼもやってもらったので一安心。

昨日に引き続き、今日も病院でちょっと疲れ気味。

しかし、母をカイロで低温火傷させてしまた張本人は私だし。。

痛い目にあって一番かわいそうなのは母なのだ。

今日の晩は妹と、嫌がる母のガーゼをなんとか取り替えた。

一日一回でよかった。

火傷は治るのに時間がかかるらしい。

使い捨てカイロにはくれぐれもご用心を。
2007/12/17(Mon) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
狭心症?
久々の日記です。
金曜日の朝、ベッドから起きてきた母が、左の胸の下を押さえて、痛いという。
母は痛みには強く、自分から「痛い」訴えることはほとんどない。
以前、肺炎になってても何も言わないのでわからなかったぐらいだ。

その母が「痛い」と言っている。
どうしたことか。。

とりあえず、朝ごはんは食べれた、何度か「痛い?」と聞くと、「痛い」という時と、「痛くないよ」という時がある。  激痛というほどではないようだ。

今の季節、下手に医者に行くと、インフルエンザの菌をもらって帰ってくるケースも大有りだ。

以前、母にインフルエンザの予防接種を受けさせるために、近くの内科に行くと、そこは小児科も併設していて、待合室には子供がいっぱいで、1時間以上も待たされた。
元気だった私はそこでしっかりインフルエンザに感染し、38度以上の高熱に数日うなされ、妹にも、うつしてしまった。

あれ以来、この時期病院に行くのは結構、怖い。

母は月曜日にインフルエンザの予防接種を空いてる病院で受けたが、効き目が出るまで2週間ぐらいかかるそうだ。 

昼ごろには母に聞いても、「別に痛くないよ」と言ってたので、結局、いつものように車で外出し、ショッピングモールに行った。

ちょっと歩いた。
すると母がやっぱり胸の下を押さえて「痛い」という。

やっと私も「病院に連れて行かなければ。。」と決心した。

以前、診察してもらったことのある近所の循環器専門の病院に行った。

やっぱり風邪の人が来てる。。

私はマスクをしっかりし、ちょっと嫌がる母にも「これやっといてね」 とマスクをしてもらい、待合室で半時間ほど待っただろうか。

呼ばれて中に入る。
母、医者の前の回転椅子に座ろうとしない。
付き添い者がすわるパイプ椅子になんとか座った。

聴診器はなんとか当てさせてくれた。

医者:心筋梗塞とかではないと思う。
血圧がちょっと高め。
心電図を撮りましょう。

看護婦さんと別室に行く。

ここからが問題。

母は背中を圧迫骨折していて背骨が曲がっているので、ベッドでもいつも横向きに寝ている。仰向けになりたがらない。

看護婦さんが母を後ろに倒そうとするが、どうしても倒れようとしない。

私もトライするが、抵抗が強く。 ダメである。

母、無理やりやられそうになったので機嫌が悪くなり、「あ〜あ、もう死んだほうがましやな」「死んで楽しい天国へ!」など暴言を吐き出す。

看護婦さん、「そんなん言ったらあかんわ〜」

私、「すみません、認知症なので。。  できたら無視してもらえますか」

心の中で、「お願いやから、何も言わんとって〜! よけ機嫌悪くなるやん!」

案の定、母の機嫌は悪くなり、結局、足と手首にだけクリップのようなものをつけて、胸には付けれず、心電図が行われた。

母は完全には上に向けなかったが、かなり上向きになることはできたので、私としてはこれぐらいなら、胸にもつけてできるんじゃないかと思って、聞いてもみたが、医者と看護婦さんはそれには答えず、足と腕で心電図を撮り終えた。

心電図では特に重大な問題は発見されず、肺などの可能性もあるので、本来ならレントゲンに移行するのだが、「無理でしょう。。。」 ということになった。

私も今の母にはレントゲンは無理だと思ったので、「お忙しいところ、ありがとうございました」とお礼を言って、その診療所を後にした。

血圧を下げる薬と痛み止めをもらった。

病院を出る前、母に「帰るよ」と言うと、母はとてもおとなしくちょっと涙目で「うん、ありがとう」
と言った。

家に帰ると軽い脱力感が襲ってきた。

妹に事の顛末を話し、疲れた旨を報告した。

以前の妹は母にあまり関心がなかったが、最近は結構、ヘルプもしてくれるし、関心も示してくれるので、こんな話をできるのは、私たちの関係も少しは進歩したようだ。

このままでいいのか、他の病院に行くべきか迷ったが、とりあえず今日は寝ることにした。

次の朝、母の胸の下を押さえて、「ここ痛い?」と聞いてみたが、母は「全然、痛くない!」と言った、何度か聞いたが、そのたびに「痛くない!」という答えだったので、ちょっとほっとした。

医者が言及した「狭心症」という病気を調べてみると、心臓の周りの筋肉に血が行き渡らなくて、心臓が痛くなる病気のようで、それを繰り返すとヤバイらしい。

確かに痛がっていたので、もしかしたらその時、軽い狭心症の発作だったのかもしれないが、とりあえず治ったようで良かった。

それにしても、母の認知症も以前よりも進行していて、医者はだんだん難しくなる。

歳も歳だし、医者にかかれなくてももう、しかたないのかな〜、と思う。

認知症専門の医者が、内臓も歯も目も何もかも診てくれたら、私も母ももう少し気が楽なような気がするのだが。。。

最近、歯医者に行っても、内科に行っても、どういうわけか母の診察にリピートはない。

「はい、これで終わりです」

嫌がられてるのかな〜、やっぱり。






2007/12/16(Sun) | 日記 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
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