とりあえずはダメ
「とりあえず」はダメらしい。

先日、習っている絵の先生に言われた。

以前にその先生と血液型の話をしていた。

私、AB型で、先生の奥さんと同じらしい。

AB型って、「とりあえず・・」っていうのが多いかも。 と私が言うと、先生、「奥さんも何でもとりあえずなので、わかる。わかる。」

家のリビングは「とりあえず」置いたもので溢れている。

「とりあえず」置いてから、1年、2年、いや数年経つものもある。

冷凍庫の中は、「とりあえず」だらけ。 賞味期限切れそうだから、とりあえず、冷凍庫へ。
そして、入れた瞬間から忘れている。

この間、その先生に、「とりあえず」って置いても、絶対後で片付けないでしょ、って指摘されて、確かに。。。  その時、片付けないと、後でも片付けないよな〜、こうやって、うちの家はごみダメになっていくのか〜。  誰かが来るときは片づけがやたら大変だし。

絵もね、決めて描いていってね。 「とりあえずこの色塗って・・」 とか言うのダメだから。。

え〜、そうなの?  私の全部、「とりあえず、塗ってるんだけど・・」

「とりあえず」を止めるためには、目的がいる。  はっきりした目的を持って、そのための行動。  

私にとってとっても苦手なことだ。

いつも「とりあえず」で生きてきたから。

「とりあえず学校行って、とりあえず就職して、とりあえず会社辞めて、とりあえず介護してるし、とりあえず絵も習ってる。。」

考えたら「とりあえず人生だ!」

今年は、少しづつでも「とりあえず」からの脱却をはかりたいとは思うんだけど。。。
2008/01/29(Tue) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
記憶
年末に家族全員、ウイルス性胃腸炎で胃の中のものを吐き出して、なんか年始は気分もすっきり。 悪いもの吐き出して、今年はなんか気分も新たに、妹とも仲良く。。。 と思っていたら、思わぬことから、またちょっとした言い合いに。。

妹は喧嘩すると、いつも、「私のかばんだから使わんといて」、とか、「私のコート着ないで!」 とか言ってくる。  私は妹にそんなことは言ったことはなく、妹は私の服も自由に着ていたし、私もそれを気にしたことはなかった。

しかし、妹のそういう態度に腹が立っていた私は、去年の12月に、喧嘩したとき、初めて、妹が着ている私のダウンジャケットを横目に、「それ私のだから着ないで!」 と言ってやった。

それ以来、妹はショッピングにいそしみ、あれこれと洋服を探している。

最近、妹との関係は良好だった。 夜、なんとなく妹と洋服の話になった。

私は会社時代の服も最近着る機会もないので、どちらかというと妹が着てくれて有効活用して欲しい。 で、私は以前イタリアで買った私も妹も超お気に入りのムートンのコートの話になったとき、「私、着ないからどんどん着てよね。」 と言った。

そしたら、妹曰く、「だって、私の服、着ないで!」って言われたし。。

私、「それは、あなたに喧嘩するたびに何度も言われたから、一度ぐらい言ってやろう、と思って言っただけで、本当は着てくれたほうがいいねん」

妹、「私、私のノートPCは使わんといて! って言ったけど、服のことは言ったことないよ」

私、「それちょっとやばいよ。 ここ2−3年、喧嘩したら、いつも言うやん」

妹、「覚えてない。。私、そんなこと言った記憶ないし。。」

私、「私、はっきり覚えてるよ。」

妹、「でも、お姉ちゃんの記憶が正しいとは限らないし。。」

と、それでまた喧嘩になりそうに。。

そして、妹は、「もういいやん。 また、使ってなんか言われたいややから、使っていいって、言われても信用できないから、使わないから。。」

と、言って、これ以上話をすると喧嘩になると思ったのか、2階に逃げていった。

私は後味悪く、チョコレートとプリングルスをやけ食いし、普段あまり見ないヤフオクに2時間以上も中毒のようにくらいついてた。

年始のさわやかな気分が汚れていく〜!

こうやって書いてみると、本当に、喧嘩の内容は私たちが4歳のときから、ほとんど変わっていない。

昔から、妹はきっちりしてて物を丁寧に使うので、いい加減に、荒っぽく使う私に、彼女の物を使われるのが嫌だったんだ。

そして、理論的で割り切り上手な妹は、「いいやん、お互いに使わなかったら」と言うが、AB型の私は、「せっかく使ってて、言ってるのに。。」 と自分の好意が無にされるのが一番、腹が立つのである。

お正月のおみくじに、「忍耐、と自分の我を出さないようにすればうまくいく」って書いてあったっけ。 

あ〜あ、 忍耐、忍耐。


2008/01/21(Mon) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
あめ
歳をとるとアメ玉が好きになるのだろうか?

1年ほど前まで、アメなんかほとんど食べたこともなかった。

それが、あめ玉を買い出してから、どんどん加速度的にアメを消費している。

母はアメが大好きだ。

ちょっと機嫌が悪いとき、ちょっと咳き込んだ時、アメを渡すと、すごく嬉しそうに、「これ頂いていいの〜」  「あ〜 助かった!」 と狂喜して食べる。

そして最近、ちょっと目を離すと、テーブルの上に置いていたアメ玉の袋から勝手に何個ものアメを出しては食べ、だしては食べ、口いっぱいにほうばっている。

ただでも血液検査で血糖値が高いのに、こんなに食べたらどうなるんだろう。。

ちゃんと隠しておかなければ。。。

先日、買ってきたアメの袋を車に置いておいた。 運転席と助手席の間に。 ちょっとした買い物の間、母を車で待たせて、戻ってみると、短時間にすでに数個のアメの空袋が。。 そして母は口をもごもごしている。

「そんなに食べたらあかんやん。。」 

母、ちょっと不満気に、「今開けたばかりのアメ玉を手で持ちながら、じゃあ、これ加奈子さん食べる?」

私、運転中なので、「うん、食べるからおいといて。」

母、「開けたから、仕方ないから、私食べとこ!」 というなり、また一つ口の中へ。

やれやれ。。  こういう時は、母、しっかりした言い訳まで言って、結構頭がまわっている。

これからは車の中にも袋ごと置いておかないように気をつけなければ。。

今日、家族の会に行くと、他の会員さんが、旦那さんが認知症(ピック病)で、アメをたくさん買い込んで、自分の周りに置いて、いつもアメばかり食べていることを嘆いていた。

注意しても、自分が好きなものを買ってきて、食べて、何がわるい! と逆切れされるらしい。

母もアメが好きだし、認知症って意外と共通点があるものだ、と思った。
2008/01/18(Fri) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
一番寒い日に。。
今日は全国的に寒い一日だった。
最近、また朝起きるのが遅いので、どうしても行動を起こすのが夕方になる。
昼ごはんを食べたら、もう3時半。

寒いし、家にいるのもなんなので、妹もジョインして、母と3人でいつものショッピングモールへ。

最初、3人でぶらぶらしていたが、途中で、妹と1時間後に待ち合わせして、妹は洋服探し、私たちは、適当に歩いたり、お菓子をたべたりすることにする。

まず、トイレへ。

身障者用は誰かが使っている。

「どなたでもお使いください」と書いてあるので、子供連れのお母さんがよくつかっている。

時々、若い子が一人でつかっていることもあるが。。

ここは普通の女子トイレでも、子供と一緒に使うように、かなりスペースが広く取ってあるところが多いので、女子トイレの方を使うことにする。女子トイレはガラガラだ。

母がまず用を足し、その後、母を手洗いの所まで連れて行って、「ここで手を洗っておいてね」 と、言って、私がトイレに入った。

トイレから出てくると、母の姿がない。

そこは2階で、トイレから出てすぐのところにエレベーターが4機ぐらいあるが、普通はエレベーターに乗るよりも、右か左に行くだろう。

まず、右に行った方を捜索。 いない。

そして、長い通路になっている左とその向こう側を見ながら2階を捜索するも、母の姿は見当たらない。

エレベーターに乗れば、地下1階から4階まで行ける訳で、あらゆる可能性を考えると、こんなショッピングセンターでも探すのは結構困難だ。

2−30分上から下まで探し、妹と待ち合わせの6時になった。

それから2人で捜索するも、見つからず、外も行ってみたが、見つからない。

とうとう、インフォメーションに連絡。 警備の人たちが探してくれる。
館内にアナウンスも流れる。

私たちも歩き回るが、母、どこにもいない。

外は真っ暗だし、今日はとても寒いので、まさか外には行っていないだろう、と思っていたが、これだけ探してもいないとは。。

結局、車でSCの周りを走り、その後、最寄の交番に行った。

警察官のお兄さんは、私の話を聞いてすぐどこかに電話をした。

「ああ、そうですか。。」  

どうも母は他の交番で保護されていたようだ。

その警察官と共に、そこから3キロほど離れた交番へ向かった。

そこには警察官が4人ぐらいと、母が居た。

元気そうだった。 茶色の上着は脱がれて母の横に畳まれていた。

母は自分の名前と生年月日はちゃんと言えたようだった。

その交番からそう遠くないお米屋さんに、母は入っていって保護されたらしい。

それにしても見つかった場所はSCから2−3キロはある。

それにSCの辺りは、工場地帯で、母はその工場地帯を通って、なんとか米屋を見つけたようだった。

母を見失ったのが5時40分ぐらい。

そして母を引き取りに行ったのが7時30分ごろ。 

2時間経っていた。

私たちももっと母の行動パターンを読むべきだった。

母は外に行こうとする。

建物の外に出ようとする。

いくら寒くても暗くても、猪突猛進。 寒いから引き返して、建物の中に入る、ということは母の頭には浮かばないのだろう。

どんどんどんどん歩いて、母はどこへ、行こうとしていたのか?

きっと家に帰ろうと思っていたに違いない。

母の帽子は結局、出てこないので、今日は母は帽子も被らず、手袋もなく、寒かったに違いない。 

暗い夜道を一人で歩行器を押して歩いて、途中でつまずいて転ぶこともなく、車に惹かれることもなく、 とりあえず、無事だった。 不幸中の幸い、というのだろうか。

母はちゃんと座らせて、本などの読むものを渡しておけば、だいたい30分以上でもじっとしていて、どこかに行ってしまうことはほとんどないが、立ったまま、「ここに居てね」 と言っても、すぐに忘れてしまい、誰かに付いていってしまったり、私を探しに歩いていってしまうのだろう。

これからは、トイレはやっぱり母と一緒に、待ってでも身障者用に入らねば。。。

母からは目が話せない。 母はあっという間に消えてしまうから。。
2008/01/17(Thu) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
母の帽子
今日、母の帽子を失くしてしまった。

犯人は私。

母は最近、冬物のオーバーサイズのダウンっぽいコートを着ているとき、帽子が邪魔になるのか、帽子をとりたがる。  その帽子はほとんど母のトレードマークで、もう、10年以上も使っている代物。 ニュージーランドに旅行したとき買った、黒のバックスキンの皮の帽子。

何度か新しい帽子も買おうと、百貨店やらいろいろまわってみたが、その帽子ぐらい母に似合って且つサイズがぴったりな帽子はない。

ちょっと買った帽子もサイズが大きすぎてほとんど使わなかったり、深すぎて前がみえなかったり。。

夏以外のスリーシーズン、母は毎日その帽子をかぶっている。

母とその帽子は切っても切れない関係なのだ。

その帽子が今日、なくなった。

母が帽子をとったので、私が預かっておくね、と私のかばんの中に入れた。

かばんは、既に物でいっぱいだったので、正確には、帽子は中まで入らず、私のかばんの入り口に中途半端にひっかかっていた状態だったと思う。

そんな状態だったから、すぐに落ちたのだろう。

しかし私はまったく気づかずに、今日はショッピングモールで友達の出産祝いのプレゼントを物色していた。 NYに住む中国系アメリカ人の彼女はキャリアウーマンとしてバリバリ働きながら、ちゃんと結婚もして、子供も生んでいる。

その彼女からクリスマスカードで、第二子を産んだ知らせがあった。
私は昨年の年末はバタバタしていて、クリスマスカードも送っていない。

ちょっとしたものと一緒にカードを送ろうと思って、赤ちゃん用品みるも、出産経験がないので、色々難しい。 いいと思ったTシャツは2歳児用だし。。  結局、悩みに悩んだ末、靴下セットとキティちゃんのタオルハンカチを買った。

それで、2−3時間はショッピングモールを母うろついていたのだが、帽子を落としたことには全く気づいていなかった。

そして帰り際、やっと気づいた。

届出はなかった。 SC内、と外も探し、警察にも届けたが、見つからない。

その辺で買える物だったら、落としてもまた買えばいい。

でも、あの帽子はどこにも売ってないのだ。

ニュージーランドに行っても、もう売ってるか、どこで買ったのかも、わからない。

かなり使い込んでるし、サイズも普通の人には小さすぎるし、で拾った人が、届けて欲しいと切に願う。

こんなこと書くと不謹慎かもしれないが、あの帽子は母の形見の第一号になるべき代物なのだ。

神様、仏様、母の帽子が出てきますように。 拾った人が明日は届けてくれますように!

お願いします!




2008/01/09(Wed) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
最近の母
最近の母はすこぶる調子が良い。

着替えも全く嫌がらないし、ご飯も完食してくれる。

ニコニコしていることも多い。

今日は出発が遅かったけど、いつものショッピングセンターを二人でうろついた。

機嫌が良くないときは、母をすぐに見失う。

私が買い物している間に、どんどん先に歩いていってしまうから。

今日は、母にとっては退屈な買い物でも、嫌がらずにじっと待っていてくれた。

私が物色にあまりに時間をかけていると、ちょっと先に行っていたが、そこで止まっていたり、他の人を私と間違えて、その人たちの横でじっと待っている。

だから今日は母を見失わずにすんだ。

お茶を飲みながら休憩している時に、ニコニコしていたので、母に「なんか幸せそうやね〜」と言うと、「そう、私、すごく幸せ。」 とい返事が返ってきた。

いままで、「早くあの世に行きたい」とか、「死んで楽しい天国へ」、と時々、言っていた母からそんなポジティブな答えが返ってきたのは、嬉しい驚きだ。

最近、母と全然いっしょに遊んであげていないが、明るい気分でいてくれて良かった。

私も金曜日の夜から、土・日と母の介護を妹に任せてかなりリフレッシュしたし。。

今日は2人とも楽しい気分で一日過ごせた。

以前は母にかなりてこずっていた妹も、最近は彼女なりにいろいろ工夫して慣れてきたようである。 

今年はずっとこんな感じでいけたらいいな。
2008/01/07(Mon) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
計算
2年ほど前、認知症のための計算ドリルを買って、母にやらせようとしたが、母は計算は全く興味がないようで、またほとんどできなうようだった。

2+3のような簡単な計算でさえ、よくわからないようだったので、そのドリルはほとんど使わなかった。

もうかれこれ20年近く、自分で買い物などはほとんどしていないので、数字に弱くなってしまったのだろう、と思っていた。

それが今日、車の助手席に乗っていた母が突然、前の車のナンバープレート、 それは「8080」だったのだが、を見て、「80と80で160やね。」 と言った。

計算あってるやん!

母の脳はどうなってるんだろうか? と、また首をかしげる私であった。


2008/01/03(Thu) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
初詣
年末からダウンでほとんど外出していない母は、今日も朝からテレビの前に座っていたが、昼ごろになると、さすがに表情が暗くなり、何を見ても面白くない様子。

天気も良さそうだし、体調の方もかなりよくなったので、出かけることに。。。

人ごみは嫌だったので、結局、山のほうへ車を走らせた。

妹は以前から出雲大社に行きたかったらしく、その分院が亀岡市にあるので、そこに行くことにした。 とても小さいところだったが、人も少なく、フラットアクセスで母にはバッチリだった。

それにしても、今頃、出雲大社って遅すぎないか? 

まあ、妹はやっぱり結婚したいんだろうか? そりゃそうだよな。

その後、出雲大神社? とかいう、出雲大社とは別物なんだけど、なぜか出雲がついている神社に行ってみた。  ここは結構、立派で古くて1400年の歴史のようだ。

出雲大社(分院)では母にお賽銭のお金を渡して、「これ投げて」 というと、母、お金を見て、「いや、私、これ要るから」 と、言って投げようとしなかったが、こちらではなんとかお賽銭も投げてくれて、一緒にお参りができた。

おみくじも引いた。 母、中吉で私と妹は吉。

去年の夏ごろ、近くの神社に小さい招き猫のおみくじがおいてあったので、引くと、大吉だった。 そのピンクの招き猫をお財布の中に入れていたのだが、今日、久しぶりに見ると、いなくなっていた。 いつからいなくなったんだろう?  道理で、秋ごろから調子が悪いと思った。

私のおみくじには、感謝と忍耐、我を出さないこと、善意で行動すること。などが書かれていた。 どれも納得。 いつも我を出して、妹と喧嘩になるんだよな〜。

2箇所に初詣に行った帰りはファミレスによって、妹も私も母も数日振りに白い、おかゆでない、固形のご飯を食べた。 おいしかった。

家に帰り、夜、母と少しだけ百人一首。 

長い間やってないわりには、母、結構覚えている。 勿論、以前と比べると、忘れているのも多いが、1年以上、ほとんどやってなかったから仕方がない。

なにかの拍子に母の歳の話になった。

母、「えっ、それでわたし歳、いくつだったっけ?」

私、「84歳」

母、「そんな歳ちゃうよ!!」 と、一喝。

私、「誕生日は?」

母、「大正12年8月OO日」 と、ちゃんと答える。

私、「で、年はいくつ?」

母、「う〜ん、 いくつやったかな〜?  へへへ。。。」

母が自分を今、何歳ぐらいと思って生活しているのか、全く謎である。

でも、84歳だとか、おばあさん、だとかはやはり、全く思っていないようなのだ。






2008/01/02(Wed) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
2007年 年末 〜 2008年 元旦
年末は大変だった。

土曜日の夜中、つまり日曜日、午前3時頃、私、突然、猛烈な悪寒と吐き気に襲われる。
同じ部屋で寝ている母もまだ調子が悪そう。

動けないので、2階で寝ている妹を布団の中から、数回呼ぶ。

なんとか妹が起きてきてくれた。

私がゲーゲーやってると、母もまたやってしまった。

妹も私たちほどひどくはないが、身体が痛く・だるく風邪のような症状らしい。

結局、明け方までに数回、もう胃液しかないのに、嘔吐。

のどが渇く。。。。

母がこの間、ウイルス性胃腸炎で2−3回嘔吐した後、数時間、何も飲ませてなかったけれど、母もきっとすごく喉が渇いていたにちがいない。

水を飲んでおさまったが、結局、その水も全部吐いてしまった。

寝る前、母がかじった、スイートポテトを食べたのがまずかったのか?

私も、ウイルス性胃腸炎になってしまったようだ。

結局、日曜日の午後3時ごろなんとか起きて、母も起こし、それから母は元気そうに、リビングのテーブルで音読していたが、私はソファに横になって、テレビを見ながら、ほとんど動けず、夜まで。

妹も、風邪らしく、2階で寝込んでいる。

結局、年末に3人ともダウン。

食料はたくさんあるが、食べる気もつくる気もせず、りんごが主食となる。

日曜日はほぼ、一日寝ていた。

今年、あと2日しかないのに〜!

年賀状は住所は書いているし、準備もできているのがかなりあるけれど、出しに行けない。

もっと早めにやっておけばよかった。

そして、翌日、31日、月曜日。

私の方は少し回復。 母はほとんど回復。

しかし、妹が寝込んでしまった。

しかし私もまだ、かなりしんどかったので、結局、年賀状も出しに行けず、またりんご+おかゆだけ食べながら、なんとか少し掃除をして、夜にはなんとか母を入浴させることができた。

ほんとうに久しぶりの入浴で母はとても気持ちがよさそうだった。

そして、迎えた2008年。

年賀状、やっぱりみんなから来てる。。。

私はまだ、出してなくてごめん。

考えたら、2007年、かなり引きこもった生活をしていて、みんなにあまり会えなかったけど、年賀状をもらって、一人じゃないんだ、ってなんかちょっと勇気付けられる感じ。。

今日は体調も良かったので、なんとか全部書き終えて、車で開いてる郵便局まで出しに行き、 帰りに近くの神社にも寄った。

すごい人で、とても歩行器の母を連れてお参りはできなかった。

年末のダウンでおもちもなかったが、スーパーでおもちを買い、家に帰って、やっとお雑煮を作って食べた。

妹と私は、雑煮の後、まだ胃がむかついたが、なんとか、かくし芸大会をみて、NHKの温暖化に関するスペシャルを見て、今日一日が終わった。

こんな年末〜お正月は初めてだった。

やれやれ今年一年、どんな年になるのやら。。

それにしても、介護者が倒れると介護されてる人は大変だ。

水分補給、食事にトイレ。。 歯磨き、入浴、等等。。

やはりもっとサポート体制を整えないと。。。 
と思う、今日この頃である。






2008/01/01(Tue) | 日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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